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15 Years After The Hanshin Great Earthquake

 阪神大震災からもう、15年も経つのですね。私は、安全な場所でTVを通じて見た情報だけしか知りません。
私の知り合いで、実際に被害にあわれた方が2人居ます。

P1039623.jpg

 1人は、宮城県でご実家のケーキ屋さんを継いだ男性です。彼は15年前、お菓子作りの修行の為、神戸のベーカリーで働いていました。ケーキ屋さんとかパン屋さんは、朝がとても早ですよね。

 彼がいつもの様に陽の昇る前から、冷たく大きい鉄の台で生地を捏ねている時、大地震は起こりました。
ちょっとやそっとの力ではビクともしない筈の台が突然、キッチンの中を右往左往し出したと。
とっさに地震だと気付かなかった彼は、ポルターガイスト現象だと思ったそうです。

 彼はそのまま台と壁に体を挟まれ気を失い、気が付いた時は、病院で手術も終っていたそうです。
肋骨が数本折れ、肺に損傷を受け、ヘリに救助され病院に搬送された時の記憶は、一切無いそうです。
 その時の大怪我のせいで、生命保険に入るのにも、多少デメリットが付きまとってしまいました。
でも今は、至って健康。助かったのは奇跡の様な幸運で、災害にあった事を周りから不幸に見られたくはない。
そう彼は言ってました。『合コンでも、この話は使えるんだ・・・』とも。

 もう1人は、神戸出身の男性で、彼が仙台に出張で数ヶ月滞在してる時に知り合いました。
彼は成人式の後、友達と大阪に旅行に出かけ、災害を逃れる事が出来ました。
彼のお兄さんも、当時仕事で東京在中だった為難を逃れましたが、ご両親は行方不明になってしまったそうです。
 旅行先でニュースを見て、彼はお友達と直ぐに車で神戸に戻る事を試みました。
ニュースでもまだ、災害の詳細が分らなかった頃は、『ティファニー強奪だ』とか、冗談も言えたらしいのですが、
震災地に近付くにつれ、道は大渋滞、壊れたビルや高速道路、災害の酷さを目の当たりにしたそうです。

 ようやく市内に入った彼らは、人命救助に参加しました。自分は健康で男だからと、水も食べ物も極力口にせず、他の人にあげていたそうです。そして当時10歳で、震災孤児になってしまった女の子を見つけ、私と知り合った頃も妹としてその女の子と一緒に暮していました。
 彼は、『俺より先に逝ってしまった大切な人の為に、格好良く生きなきゃいけないんだ』って言ってました。

P1039620.jpg

 当時自衛隊に所属し、被災地に救助に向かった知り合いは、地震直後、今すぐにでも出発できるのに、上からのGoサインが出るまで動けず、歯痒い思いをしたそうです。真っ先に動いたのは、山口組でしたね。
 彼が言った事は『被災地の人達は、自分らでは何もしようとしない。ただ助けを待ち、救助の者に毛布が足りない、食料が足りないと、不平ばかりをぶつけてくる。』酷い言い方に聞こえますが、彼なりに大変だったのだろうと。

 私は、阪神大震災の凄さは分っても、災害の辛さは分らない。
自分が今まで、安全な環境で暮してこれた事を、当然ではなく、幸運だと感じよう、と思う。
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No title

ウチは母親が救助に行くか行かないかの電話をしてたっけ・・・。
被災地への救助は結局違う班の人が行ったみたいだけど。
当時総理だった某じいさんが、自衛隊反対だったから、救助が遅れたんだよね。
あの人は幾人もの命を背負って、かっこ悪く生きてる。
プロフィール

ico onishi

Author:ico onishi
自分を把握してません
基本 日替わりです
変ろうとも維持しようともしません

“長い目”で 生きれません
“近い将来”しか見えません

好きな事には貪欲です
縄張り意識 かなり強めです

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